『マーケティング5.0(Marketing 5.0 / Philip Kotler)』時代ではマーケティングオペレーションをいかに迅速に実行できるかが重要になっています。アジャイルマーケティングという言葉を書籍、WEBでよく見かけるようになりました。しかし、実際にはどういうものか説明できない人が多いのではないでしょうか。曖昧な解釈で実践しているつもりになっているケースもあります。今回はアジャイルマーケティングについて、その実践のポイントも含めて理解を深めていきたいと思います。
アジャイルマーケティングとは
アジャイルマーケティング(Agile Marketing)とは、上記のアジャイルという思想をマーケティングに応用したものです。近年テクノロジーの進歩やチャネルの多様化によりデータドリブンマーケティングが可能になりましたが、それと同時にマーケティング環境の不確実性も高まっています。新しいテクノロジーがどんどん生まれ、常にアップデートを続けていますし、顧客ニーズも変わりやすくなっています。コストや時間をかけてじっくり市場調査や要件定義を行い、業務をひとつずつ順番に行うウォーターフォール型のビジネスを続けていては、途中で変化が発生しても「はじめてから時間が経っているため軌道修正が難しい」という状況に陥りがちです。
こうした変化を受けマーケティングの世界でも「まずは小さな規模で世の中に出してみて顧客の反応を捉え、その後分析とテストを繰り返しながらチューニングしていく」アジャイルマーケティングが注目されているのです。リアルタイムのデータが取得できるようになったことでマーケティングは経験主義的なものへと変化しています。これからのマーケティングで求められるのは、データドリブンマーケティングをベースに、小規模のPDCAを繰り返し変化に順応しながら顧客に価値を提供し続ける姿勢です。
さまざまなビジネスがパッケージ型の大型バージョンアップの販売形式から、サブスクリプション型へ移行しこまめな製品アップデートを繰り返しているのもこうした影響を受けているといえます。
アジャイルマーケティングのメリット
- 顧客が中心になる。
アジャイルマーケティングにおいて大切なことは、チームと顧客の関係を深めることです。これは、既存顧客と潜在顧客の両方に関わるものです。これは結果重視の手法であるため、チームはその成果を示し、顧客に価値を与え、新たな顧客にとって魅力的な存在になることができます。
- チームメンバーに創造力と実験の活用を促す。
アジャイルデジタルマーケティングのキーワードは、「実験」です。マーケティングのように常に変化する業界では、創造力を発揮することが将来のトレンドを形成する戦略を見出す鍵となるのです。アジャイル手法では、チームメンバーは新しい革新的なアイデアを試し、どれがうまくいくかを見極めることが大切です。
- スプリントレビューから将来の戦略を決める。
スプリントのサイクルが短いので、チームはそこから重要なデータが得られます。このようにして、将来の戦略を調整し、より素晴らしい結果をもたらすことができます。
アジャイルマーケティングのデメリット
- ペースの速い環境は誤解を招く恐れがある。
各スプリントのサイクルが短いため、チームは常に新しいデータを受け取ることになります。過負荷により、チームメンバーはデータを誤って解釈したり一部を省略してしまうなど逆効果となる恐れがあります。
- すべてのチームメンバーがアジャイル手法に適応できるわけではない。
新しい手法を採用すると、組織の文化を変えることに繋がります。しかし、すべてのチームメンバーがその変化に適応できるわけではないため、混乱を招いてしまうことがあります。
- 長期的な目標を見失いやすくなる。
スプリントのサイクルが短いことで起こりうるもう1つの問題は、チームメンバーが長期的な目標を忘れてしまう恐れがあることです。これは、スプリントを完了させるという短期的な目標に集中することで起こってしまうのです。
- 作業量が多い。
他にも、アジャイルマーケティングではスプリントが常に迫ってきます。そのため、チームメンバーのストレスが溜まり、燃え尽き症候群になってしまう可能性さえあります。
アジャイルマーケティング宣言
アジャイル開発では、2001年にアジャイル提唱者たちが集まってまとめられた「アジャイルソフトウェア開発宣言」がありますが、「アジャイルマーケティング」においても2012年に「アジャイルマーケティング宣言」がまとめられています。
アジャイル開発とウォーターフォール開発
ここで改めて、アジャイル(開発)とは何かについて簡単に書いてみたいと思います。
アジャイル開発は、以前からあったウォーターフォール開発に対して生まれた言葉です。ウォーターフォール開発は、戦時中のマンハッタン計画やアポロ計画などを基礎に確立されたといわれています。
どのようなシステムや製品を創るのか、顧客の声をしっかり聴いた上で要求定義を作成しそれを基に設計、開発、製造、テストと上から水が落ちるように進めるのがウォーターフォール開発です。
一方で、図の下半分がアジャイル開発のイメージです。短い期間で、機能の一部分(重要順)を完成させて顧客や市場の評価をもらう。そのフィードバックを得たうえで、修正したり残りの部分も少しずつ完成させる。それを繰り返すのがアジャイル開発です。
なぜそのような手法が求められたかと言いうと、ウォーターフォールでは製品の開発に取り掛かる前に、設計を終わらせるのが手順ですが、今のようにシステムが複雑になりまた時代の変化が激しく環境もすぐに変わると、当初時間をかけて完璧に作った計画を変更しなければならないことが日常茶飯事となったからです。
このことを表したのが下図になりますが、20世紀は自動車にしろ家電にしろ「先進的な欧米の製品」という製品目標がしっかりあって、それに(日本お得意の)工夫を凝らしてもっとよい製品を創れば「売れる製品」を創出するのはそれほど難しいことではありませんでした。
そういう時代では、「目標に向けて折れない心」であったり「上司や先輩の言うことに素直に従うこと」「根性など精神力」そして「改善する工夫」が求められてきましたが、これは日本人の気質にあったやり方だったのは言うまでもありません。
それほどスピードが求められず、二番煎じでもよりハイスペックだったり安い製品が求められました。しかし、「独自性」「イノベーション」などが求められる21世紀の今ではそのやり方は残念ながら通用しません。右図のように、市場や顧客の変化を探索しながら、柔軟かつ俊敏(Agility)に変化し続けることが求められます。
アジャイルマーケティングは高速PDCAではない
上にも書きましたが、アジャイルマーケティングについての記事の中に、PDCAをしっかり回す、あるいは素早く回すと書かれているものがいくつかありました。
PDCAは、アジャイルではなく、ウォーターフォール開発に対応したフレームワークです。これをそのままスピードを上げたからといって、ウォーターフォールとは別のやり方のアジャイルになるわけではないのです。
PDCAでは、まず最初に設計(Plan)をしっかり行うことが求められ、それは次の実装(Do)の後のテスト(Check)を経てリリース(Action)した後、次のバージョンの設計(Plan)を行います。「高速」PDCAでは、現在のPDCAと並行して次のPDCAを回しますが、それは現在のPDCAの順番が変わったり、途中でPlan変更を行うということではありません。しかしアジャイル開発やアジャイルマーケティングではPlanの前にDoを行ったり、テスト駆動開発という最近主流の開発方式では、DoとCheckを並行して、あるいはDoの前にCheckを行って開発を進めていきます。また継続デリバリーと言って、毎日製品リリース(Action)を行ってそれを修正し続けるというのもアジャイルでは普通のことです。例えばGoogleやAmazonでは、1日数千回も製品(システム)をアップデートし続けています。
もちろん「PDCAはあらゆる仕事を進めるにあたって大事な考え方」という意味では、アジャイルとPDCAが反しているわけではないのですが、「アジャイルマーケティング=PDCA」というような読む人に誤解を与えるような書き方には注意したほうが良いと思います。
また、特にデジタルマーケティングにおいて、ことさらマーケティングツールや広告指標の分析やフィードバックをアジャイルマーケティングの事例として強調するのも観点をずらしてしまうことになりかねないと思っています。デジタルマーケティングやWEBマーケティングで、これらの指標を毎日分析して広告やコンテンツに反映させるというのも、いわば「当たり前」の大事なやり方であって、アジャイルマーケティングだからというわけではありません。アジャイルマーケティングで大事なのは、データそのものを考えることよりも、それに対応する「仕事の進め方」や「組織」のほうになります。一度決めたことは最後まで進める、組織ややり方を修正するにはいちいち上の承認を稟議で得る必要がある、そのような体制ではアジャイルマーケティングをうまく進めることは難しいのです。
アジャイルマーケティングの原則
アジャイルマーケティングは、マーケティングの変化のスピードと複雑さに対応するために、今までとは異なるマインドセットと新たな働き方として採用されます。 下記の原則はアジャイルマーケティングの価値の詳細について述べたものです。
- 素晴らしいマーケティングには社内外の顧客との緊密な連携、透明性、質の高い交流が必要である
- 多種多様な観点を追求する
- 顧客価値を高めるために、変化を歓迎し対応する
- 効果的な優先順位付けと業務遂行のために必要な分だけ計画を行う
- リスクを取り、失敗から学ぶ
- 可能な限り機能横断型の小さなチームをつくる
- やる気のある個人を中心にマーケティングプログラムをつくり、彼らが仕事をやり遂げることを信じる
- サステナブルなペースで仕事を行うことが長期的なマーケティングの成功につながる
- アジャイルマーケティングだけでは十分ではない。卓越したマーケティングには、マーケティングの基礎を継続的に見直すことも必要である
- シンプルを目指す
アジャイルマーケティングの最初の一歩
アジャイルマーケティングでは、アジャイル開発の「スクラム」や「カンバン」の手法をそのままマーケティング活動に適応させていきます。
ここでは最初の一歩として、アジャイルの中で一番重要な「振り返り」「フィードバック」について述べたいと思います。
アジャイルでは、毎日のデイリースクラム(デイリースタンドアップ、朝会ともいう)そして製品のリリース時に「振り返り」や「フォードバック」を行います。
ここで注意すべき点は、これはPDCAや通常の営業やマーケティングでも行われる「達成度」をみたり「進捗管理」を行うものではなく、それとは別であるということです。
アジャイルおける振り返りやフィードバックは、「現在の状況の確認と共有」です。現在の自分たちの状況、あるいは顧客の声や距離感をチームで共有し、今後の製品開発やマーケティング活動に活かすために行うものです。
フィードバックによって現在の状況を確認することで、製品に新たな機能を加えるとか、新たなマーケティング施策を行う。その結果を持ってまたフィードバックを行って新たなタスクを作成する。この繰り替えしが、より顧客や市場に近い製品を創ったり、効果的なマーケティング手法を行うのにつながります。
組織的な企業でのアジャイルマーケティングの取り入れ方
企業では従来型のマーケティングを尊重し、維持しつつも、アジャイルマーケティングを行うために独立したチームを作ったり、部門横断型のチームを作ったりしていることも多くなっています。
アジャイルマーケティングを行うためには、俊敏に動けるチーム作ることが大切です。俊敏さへの障壁になってしまういくつかの一般例を次に示します。
- 無限のクリエイティブチェック
- すべてのコンテンツのリーガルチェック
- マネージャーの承認
- 会議のための会議
- 過度に複雑なワークフロー
そして、フレキシブルな動きをするアジャイルマーケティングチームは、リアルタイムの分析を行える環境を構築し、状況に応じて対応できる基盤を作ります。
その際に柔軟なプラットフォームを好み、あらゆる製品と組み合わせて使うことも求め、状況に応じてより良いプラットフォームの構築を行っていきます。
これらを実行するには、さまざまなスキルと知識が必要になってくるので、何もかも企業内で完結する必要はありません。企業は社内、社外のリソースを活用することで大切でしょう。新しく専門部門を立ち上げ、専門の人を採用するのではなく、その分野で専門の企業とコラボレーションすることができます。限られた時間で、必要なときに必要なリソースを活用し、協働していくことお互いのメリットになるでしょう。専門の企業は、新しい技術を試したり、情報を収集したりすることも重要な業務です。事業会社で働いている場合、自社のプロダクトや自社の情報をキャッチして考える時間が必要です、そしてまだまだ社内の調整に時間を費やすこともあるでしょう。お互いが協働することでアジャイルマーケティングが可能になるのではないでしょうか。
アジャイルマーケティングを成功させるためには5つのポイント
アジャイルマーケティングを実現、成功させるためには5つのポイントがあります。世界は常に変化し続けるものです。完璧を求めすぎると、いつまでたっても顧客に価値を提供できなくなってしまいます。人も仕事も完璧はない、重要なのは完璧なものをつくることではなくできるだけ早く顧客に価値を届けることです。それを実現するために完璧でないものも受け入れる、そしてそのうえで最善のものを生み出そうと行動し続けるというのがアジャイルマーケティングの本質といえるでしょう。
- 顧客ファースト
迅速により多くの価値を顧客に提供する
どんなにすばらしい製品やサービスも顧客に求めてもらえてはじめて価値を持ちます。変化し続ける顧客ニーズに応え続けるためには、業務や組織のあり方も顧客中心に変えなければなりません。業務や組織ありきではなく「顧客が必要としていること」を軸に、やるべきことの選択やその推進に注力します。 - 迅速な実験とリアルタイムのアナリティクスを重視し反復を繰り返す
実際に市場に出すことでリアルな顧客の反応がわかります。データをもとに結果を分析して改善を行い、再び市場に出します。一度に完成させる必要はなく、このプロセスを迅速に反復することで顧客の理想に近づいていくことが重要です。 - 旧来型の組織構造からの脱却
セクションをまたいだ小規模の組織をつくり、チーム内の相互作用を重視する縦割りの階層構造では最も重要な顧客がどこにもおらず、新しい情報や変化をキャッチできても顧客に適用できません。アジャイルマーケティングには小規模のプロジェクトを遂行できる柔軟な組織構造が不可欠です。チームで日常的に集まり話し合うことも重要です。 - フレキシブルなプラットフォームとプロセス管理
プラットフォームは変更要素を加えることで新しい製品やサービスにも対応できるのが理想です。前のプロセスが終了していなくても次のプロセスをはじめられるような柔軟性も必要です。 - オープンイノベーションの取り入れ
改善案や新しいアイディアは企業内だけではなく、必要に応じて外部からも取り入れるようにしましょう。異文化、異分野、異業種の見地を取り入れ、新しい技術革新を起こすことでよりよい商品・サービスの開発のきっかけになります。デジタル社会におけるインターネットやSNSの発展により、マーケティングは変化し続けています。商品開発においても例外ではありません。高速かつ柔軟なマーケティングの実行が、今後のビジネスの未来を決めていくでしょう。
アジャイルマーケティングを取り入れるポイント
最後に、アジャイルマーケティングの実現するために、組織やチームはまず何をするべきかについて考えてみます。
先述のとおり、マーケティングとソフトウェアの重なりが大きくなるにつれて、経験主義に基づく活動が重要になっていきますが、経験主義を実践するためには、「コントロールできること」と「観測できること」を見極め、管理下におくことが原則です。
また、MCM成熟度の調査のとおり、初級・中級レベルは、まずは「キャンペーン管理の集約化」や「データウェアハウス」などに取り組むべき状態であるとしています。先進的な欧米企業でも、約9割がそのレベルに位置しています。
これらのことから、まずは「コントロールできること」と「観測できること」の整理を始めることが、アジャイルマーケティングの第一歩と言えるのではないでしょうか。
アジャイルマーケティングを取り入れるポイント:
- 俊敏に動けるチーム作ること
- リアルタイムの分析を行える環境を構築すること
- 柔軟なプラットフォームを使い、変更ができるようにすること
- 社内だけでなく社外のリソースを活用すること
アジャイルマーケティングを行うには、手を動かせる専門職とそれを束ねるリーダーが必要です。さらには、社内外の協働を通して、オープンイノベーションのコンセプトに慣れしたしんでおくことにも繋がります。
現代は、マーケティングという仕事がとても面白い時代だと思います。個々人が変化を起こすことができる、チャンスに溢れた時代です。一方で、変化の激しい目の回る時代ですから、時には大変に感じたり、不安を抱くこともあると思います。組織や個人がこの不安にうまく向き合い、変化を楽しみながら成果をあげるために、アジャイルのコンセプトは大きな助けになってくれるはずです。
すべての情報をクローズにしてしまうと、より良い社会にしていくようなアドバイスが外部から入ってこなくなったり、協力者が減ってしまったりします。より良い社会のために、オープンソースにすべきものはオープンすることで、中長期的にはイノベーションが進み、企業の状態が良くなっていることもあるでしょう。